こんにちは。
今日は、自分で動く中で
思っていることをつらつらと書いてみます。
先に断っておきますが、
私は、何かの宗教を信仰している人ではありません。笑
それぞれに、素晴らしいものはあると思いますが、
元をただせば、一つしかないと思うので。
なので、特に何も信仰してない、まずそれを大前提として。
なんでこんなことを書くのか。
今私は、長崎の歴史を読みつつ、
長崎の歴史を読むなら、讃美歌を聞いてみよう、
その讃美歌の中で仕事の作業をしていたからです。
そしたら、
自分の中の芯だと思うことが浮かんだので
忘れず書いておこう。
で、ここに書いています。
今、新しい事業を始めるために
準備を進めています。
その中で、一つ、感じること。
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「人は、洗われる。」
当然、動けばいろんな人や物に出会う。
理不尽なことや、不信感が募り始めることもある。
裏切りや、周りからの雑音が増える。
それに振り回されている人を見る。
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私は、そんな人を見るにつれ、
自分に一つ動かせざる信念を
今までより大きく感じるようになった
そんな気がしています。
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足元を見ようとしたり
損得勘定で動こうとしたり
それは、仲間ではない。
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私には、今、仲間がいます。
昔からの友達知人ではないのが不思議。
強い気持ちとともに現れてくれたかのよう。
このメンバーは、この先何が起きるか
経験値と知能とで大体のことを予測し、
完全に討論になる。
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この先喧嘩になったり、ハプニングも色々あるだろう。
それも、話し合っています。
だけど、それも全てひっくるめて
皆が幸せにこの人生を生きていく
その幸せ感がこの仲間をきっかけにもっと広がる。
これが基軸にあり、広げる取っ掛かりになれば。
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綺麗ごとで言えるわけない。
だって。今しんどいもん。
しんどい、を共有しているからこそ
仲間である。と思います。
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と、そこに長崎の話に戻しますが
長崎にご縁があって、ちょっと調べていたわけです。
そうすると、キリシタンの歴史の話が切っても切れない。
そして、読むうちに涙が湧いてくる。
弾圧された人がかわいそう、ということはもちろんだけれど、
必死に守ろうと、まさに、生死をかけて何百年もの間、
暗闇、水面下、自由にキリシタン同士で交流さえできない、
だけど、心は強固につながって。この強さはすごい。
とおかしな言い方かもしれませんが感銘をうけました。
裏切りとか権力とか、そういう安直な心理がバカバカしく思えてきます。
強固につながったものこそ、安直な心理の持ち主は恐れる。
だから、弾圧。もみ消す。ねじ伏せようとする。
あ、少し前こんな人、いたなぁ~( ´艸`)
皆さんの周りにもきっといる。
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だけど、やはり、そういう人は
強固に繋がっている人間同士の絆には、
太刀打ちできないのです。
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強固に繋がるには、
自分を思い、相手を思うこと。
相手だけ思うこと、これはきれいごと。
どちらかの思いが欠けているか、バランスを欠いても
苦しくなるだけ。
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私は毒舌な割に、損してもいいと思うほうなので
今まで損することが多かったのですが、
自分を大事にすることも大切。
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自分は本当にそれをやりたいのか?
面白そうか(これ、私の第一優先の基準( ´艸`))
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そうすると、泥が落ちていくように、
シンプルに、綺麗に、洗われて。
ピッタリの人たちが横にいてくれたりするのだなと。
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ハッピーになろうとしている人に付いて
一緒の気持ちで泥を落とせば
ハッピーなことがどんどんやってくると
私は信じてます。